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『フランス語教育』28号 日本フランス語教育学会 (2000年)

◆フランス語のアクサンは省略してある.◆



日本人学習者におけるテクスト構成の問題点 ー対照言語学的観点からー

Probleme de l'organisation textuelle chez les apprenants japonais

- du point de vue de la linguistique contrastive -

 

高垣 由美
TAKAGAKI, Yumi


フランス語要約へ

 

はじめに

 一般に日本人の仏語学習者(以下AJ)は,まとまった内容を筋道立てて述べることが苦手である.単文は発信できるが,それぞれの文を関係づけて全体として1つの話,文章を構成することが不得手なので,全体として結局何が言いたいのかが,よく伝わらないことが多い.

 文のさらに上にたつ言語単位をテクスト(以下T)とする1)Tは文の単なる寄せ集めではない.Tのレベルで,各文がたがいに関連をもちあって一定の構造をなしていなければ,コミュニケーションは成り立たない.AJは一般にこのT構成がうまくいかない.文のレベルの発信ではそれほど問題のない学習者が,Tの作成では著しく見劣りするのである.

 AJの作る仏語は,なぜTとしての出来が悪いのだろうか.本稿では,AJ特有の問題がどこにあるのかを探り,その原因を日本語の影響に求める.まず第1節で先行研究を概観する.第2節でT分析に必要な基本的な概念を導入する.第3節で,実際にAJのTを分析する.最後に,対照言語学的観点からみた現代日本語と仏語の特徴を述べ,AJがTを学ぶための方法を提案する.

 

1.先行研究

 AJのT構成の問題点は,仏語教育の分野でこれまで大きくとりあげられることはなかった.筆者の知る限り,Disson(1996)が唯一のまとまった研究である.研究こそほとんどされてこなかったが,以下のDissonの指摘に対し,自らの教室での体験に基づいて,同じ思いを抱く仏語教師は多いのではないだろうか.<<cette ''logique conversationnelle'', ou (...) cette ''logique du langage ordinaire'' (...) semble curieusement faire defaut aux apprenants japonais : leurs productions, orales et ecrites surtout, semblent souvent ''tourner en rond'' et progresser par a-coups, de facon incoherente ; les digressions y sont nombreuses (sous forme d'impressions subjectives et personnelles) et surtout la redondance y est si frequente que le professeur, perplexe, se demande si la repetition supplee a l'absence d'arguments ou constitue en japonais un effet de style. >>(p.206) 残念ながらDissonは具体的なTの例をあげていないので,ここに例をあげる.以下本稿の例では,問題となっている部分を太字にし,必要に応じて各文に文番号[1],[2]...をつける.原文の綴り字,文法上の間違いなどもそのまま残す.

 

(1) L'eau et L'heritage culturel

[1]Nous vivons au Japon qui fait tres humide. [2]L'heritage culturel est la fatalite qu'il subit un dommage de l'eau. [3]L'eau ravage doucement un dommage. [4]Toutefois, le dommage est tres serieux. [5]Quand on s'aprecoit le dommage, c'est tardif deja. [6]Et puis, nous avons perdu nombreuse l'heritage culturel. (donner un exemple concret, ici) [7]Il faut le remede scientifique. [8]L'eau est tres mysterique. [9]Il faut que nous comprenons l'eau plus profondement. [10]L'heritage culturel ne vient pas eternellement, si nous le perdons.

 

この短いTの中で,連続する4文[2]から[5]の中でdommageが4回,連続する[2][3]と[8][9]でeauが各2回繰り返されている.また[1]と[2]の間はhumideeauで語彙的な類縁関係によるつながりはあるが,やや唐突な印象を受ける.さらにタイトルがL'eau et l'heritage culturelであるのに,途中からdommageが話題の中心になっているようである.

 もう少し上のレベルのAJの例を挙げる.長いTの一部である.

 

(2) [1]Et puis chez le cinema il est presque impossible de realiser la beaute de la narration du roman. [2]Sasameyuki (Quatre Soeurs) bien ecrit par J. Tanizaki, grand styliste, devenut un film d'une simple exhibition des celebres vedettes. [3]Au cinema la beaute de style est necessairement transformee en la beaute visuelle.

 

 文[3]を,あるフランス人の添削者は<<Cette phrase n'est pas en relation logique avec la precedente. Elle serait meme en opposition.>>と評した.Dissonのいうlogique欠如の例といえる.

 なぜAJはこのような欠点を持つのだろうか.Dissonはこれは習得段階の一時的な問題でなく,他国の学習者には見られない日本人特有の欠点であるとしている2).そしてその原因に関して,教育の影響や行動様式,考え方,母語からの干渉を考えているが,残念ながら推測の域を出ていない.本稿では日本語からの影響という観点でこの問題を検討する3)

 

2.基本概念

 まずT分析に必要な基本概念を説明する.ばらばらな文の寄せ集めと,まとまりのある内容の伝達に役立つTとを区別する特徴,TをTたらしめているものを,テクスト性(T性)と呼ぶ.T性が低いとコミュニケーションの役に立たず,ひどい場合には理解不可能になるT性を左右する要因として,結束性(cohesion)と整合性(coherence),さらに進行性(progression)がある.そしてTの構造自体に,マクロ構造とミクロ構造を区別する4)

 

2.1.結束性と整合性

 結束性とは,様々な言語手段を使ってのTの言語的なつながりを指す.使われる言語手段には,反復,指示表現,代用表現,時制や法,接続表現,省略,語彙などがある.また整合性とは,Tの自然さ,すわりのよさといった意味的なつながりの善し悪しを指す.推論,常識,連想といった非言語的な要素も含む.十全なTが成立するために結束性と整合性はともに働く.この2つはきれいに区別できるものではない.言語的なつながりは意味的なつながりと関連するからである.

 

(3) Elle s'appelle Michiko. Elle est nee lorsque le prince heritier s'est marie.


(4) 彼女は美智子という名前である.皇太子様ご成婚の年に生まれたのだ.

 

 上の例で文と文を効果的につないで,T性を高める要素としては,まず結束性として(3)では2つ目の人称代名詞elle,(4)では理由説明の表現「のだ」,及び第2文の主語のゼロ代名詞がある.しかしこれらの言語的な要素だけでは,2つの文の間にある因果関係を読みとり,Tとして扱うことはかなり困難である.特に仏語の(3)は,人称代名詞による結束だけであり,単文2つの羅列であって,Tではないような印象を与える.このような場合整合性が問題となる.ここでの整合性は,(前)皇太子の結婚相手が美智子という名であった,そして当時,皇太子妃の名前にあやかって名付けられた子どもが多くいた,という言語外の知識からくる.この知識があって初めて,2文の間の因果関係が明瞭になりT性が高くなる.

 

2.2.進行性

 Tはさらに進行性という条件も満たさねばならない.進行性とは新しい情報を次々とつけ加え,論理にかなった展開をしていくことである.Tが前に進んでいかない場合,つまり進行性が低すぎると,同じ情報,内容が何度も繰り返されて,冗長,退屈になる.また逆に進行性が高すぎると,突飛な展開についていけなくなる.T内で反復が多いと,結束性は高まるかもしれないが,冗長,煩雑となって進行性が低くなり,結果としてT性を低めることがある.Tは一方では進行性,他方では結束性・整合性の2つの間の均衡を保たねばならない.

 

2.3.マクロ構造とミクロ構造

 Tが成り立つためには,近接した文同士の結束性,整合性だけでなく,T全体の構造をも考えにいれなければならない.隣り合うか,極めて近い位置にある文同士のもっぱら線状的,局所的な関係をミクロ構造(以下MI)と呼ぶ.これに対して,あるTが論文,詩,小説としての適切な形式と文体をもっているか,段落ごとのつながりに不自然なところはないかなど,Tを全体的な視野でみた,線状的な関係を超えた構造をマクロ構造(以下MA)と呼ぶ.

 この区別は相対的なものであれ必要である.ある種のMAゆえに,普通では容認できない文体が効果をあげる場合がある.例えば詩の中で,(1)に劣らない頻度で同語反復がみられることがある.これは詩という形式がMAにおいてT性を保証し,普通の散文ではマイナスの効果を持ちかねないほどのMIレベルでの反復が,むしろ逆に文学的効果を高めるからである. 

 以上のことからT性について次のようにまとめる.TはMA,MI両方のレベルで結束性,整合性,進行性の要求を満たさねばならない.さらに結束性・整合性と進行性の間の均衡をとらねばならない.そしてわれわれの考えでは,日本語と仏語では,結束性,整合性,進行性の表れ方は異なり,結束性・整合性と進行性との間の均衡の取り方も異なるゆえに,AJは仏語でのT生成において大きな困難にぶつかる.第3節でこの日仏の違いを実例に即して見ていく.

 

3.分析

 以下の実例分析では,便宜的にまず,仏語教育の観点から見て興味深い反復,時制,代名詞,接続表現の4つの結束性に従って分類,検討する.最後に整合性中心の例について論じる.

 

31反復

 第1節の例(1)を再びとりあげよう.これを日本語に訳してみるとそれほど悪くない.

 

(5)           水と文化遺産

[1]われわれは湿気の多い日本に住んでいる.[2]文化遺産は被害を受ける宿命にある.[3] は少しずつ被害を与える.[4]しかし被害は極めて深刻である.[5]被害に気づいた時には,すでに遅い.[6]そして我々はおおくの文化遺産を失ってきた.(ここで具体例を入れる)[7]科学的な対策が必要である.[8]は大変不思議である.[9]我々はをもっと深く理解しなければならない.[10]文化遺産は失われると永遠に戻ってこない.

もし(5)で反復されている「水」「被害」を「それ」のような代名詞にすると,いかにも下手な翻訳調になってしまう.同一名詞の反復を避けたほうが,日本語ではT性が低くなる.仏語では同一名詞の反復が嫌われるだけで,代名詞の反復は許容される.仏語では人称代名詞は通常アクセントを持たない軽い要素であることが,反復を妨げない原因の1つであろう.これに対しゼロ代名詞が可能な日本語では,名詞の反復よりもむしろ,代名詞の反復を嫌う.

 冒頭の引用でDissonは,日本語では反復が文体的効果を持つのではないかという疑いを述べているが,テクスト言語学の分野では一般に,反復が結束性を高め,結果としてT性を高める効果があることは広く認められている5).だから場合によっては「文体的効果」を持ちうる.AJが(意図的であれ無意識であれ)反復を行うのは,言語一般の性質をみれば決して不自然な行動ではない.ただし反復が多いと進行性が低くなってしまうことも,一般的に正しい6).ある言語で文体的効果をもつ操作を,別の言語において機械的に当てはめた結果が,マイナスの効果しか生まないことはありうる.反復がT性を高める場合と低める場合があり,その表層での実現の仕方が言語によって異なるのである.よってAJの仏語のTにおける反復過剰の問題は,反復という形の結束性が,進行性との関係で均衡をとることが出来ない問題と言いかえられる.

 つぎにMAレベルでの反復を含んだ例を見よう.学習歴1年半の大学生の例である.パーティーに招待する手紙7)をまず読んだ上で,自由に「断りの返事」を書くという課題である.

 

(6)                      Osaka, le 25 mars

Ma chere Aurelie,

[1]Merci de votre lettre. [2]Je suis tres heureux de votre lettre. [3]Je suis actuellement a Osaka. [4]Osaka est japonaise ville. [5]J'etudie la culture japonaise. [6]A propos, je vous remercie de votre invitation. [7]Je veux aller en soiree est passer des moments agreables avec vous. [8]Mais, malheureusment je ne peux pas aller cette soiree, car il faut rester a Osaka. [9]Si je rentre a France, je ne peux pas terminer etudes universitaires. [10]Maintenant, vous pouvez ecrire une lettre.

     Je t'embrasse

     Jean

 

問題点1:連続する2文[1][2]と[7][8]中でそれぞれvotre lettre, soireeの表現を反復している.

問題点2: [1][2]は内容の上でも重複があり,進行性が低すぎる.

問題点3:[3] [4] [5] は主題には直接関係しない逸脱である.これは日仏の手紙の書き方の違いに由来する.日本語の手紙の規範を仏語の手紙にそのまま当てはめ,直ちに本題に入らないで,近況報告をいれるから,仏語の手紙としては進行性が低すぎて,おかしなものができあがった.

問題点4:[6] は礼を述べている点で [1] と一部内容が重複する.ただし [1] は手紙に対する礼, [6] は招待に対する礼という点で異なり,それぞれに構文を変えていて,AJの苦心の跡が見られるが,進行性を低めていて冗長な感じは免れない.

問題点5:[6]のa proposの使い方は,語法の誤りにT構造の問題が加わった例.おそらく日本語の「ところで」のつもりで書いたのであろう.日本語の「ところで」は,本題と直接関係のない前置きを述べたあとで,いよいよ本題に入るときに使う典型的な接続表現である.だから「ところで」の後には重大な情報がくる.しかし仏語のa proposには,このような本題導入の役割はない.むしろ重要度の低い情報をつけ加える場合に用いられる.よって手紙を書いた最大の目的である「断り」を述べる前に入っているのは不適切である.

問題点6:[10]は前の部分とのつながりがよく見ず,唐突な終わり方.

3.2.時制

 仏語には厳密な時制の体系があり,動詞の語尾によって明確に表れる.これに対し日本語では時の概念はそれほど明確に言語化されず,いわゆる時制の一致もない.仏語の歴史的現在のような現在形が,日本語の物語の地の文では広く用いられる.一般に過去のマーカーとなる「た」のついた文とつかない文が混在しても,整合性は保たれ,読み手に時制に関する混乱は生じない.このようなMIレベルの時制の混在は仏語ではまず不可能である.AJが仏語のTを作成する場合も,つい時制に無関心で現在形を使う傾向がある.次は学習歴2年弱の大学生の作例.一見すると現在・過去・未来が混在しているようにもみえるが,特に矛盾した内容ではなく,単なる不注意によるミスと思われる.

 

(7) En jour du Nouvel An, mon ami et je avons alles prier a un temple shintô. J'ai mis FURISODE que aime de ma grand-mere a me habillee. Nous tirons au sorts. J'ai tiree un mauvais sort.

Mes amis et je avons alles faire du ski et planche neige. C'est la premiere fois que je fais de la planche neige. J'ai tombee sur le derriere vingt fois. Mais elle a me amusee c'est pourquoi j'ai decidee de acheter une planche l'annee prochaine.

 

3.3.代名詞

 MIレベルでの間違いは一見少なそうに思えるが,文法的性が関わると,中級学習者も誤る.

 

(8) Trois personnes sont suspectes : ils ont ete interroges.

 

ここの登場人物は男でも女でもありうる.仏語では,personnes が女性名詞だから文法的な一致によりellesとなる.AJは登場人物が男性の時,これをilsと男性形にしてしまいがちである.仏語は極めて文法指向が強い言語であり,このような場合たとえ自然界の性に反してでも文法的性を優先する.

 一般に仏語の文法が対象としているのは,ほとんどがMIレベルの局所的現象であり,MAレベルの文法現象は少ない.これに対し日本語では,MAレベルを視野に入れなければ説明できない言語現象が多い.省略やゼロ代名詞の分布の説明などは,「視点」,「エンパシー」といった談話文法の概念を導入する必要がある8).日本語ではMAレベルで決まる代名詞の選択も,仏語ではあくまでMIレベルでの文法的一致になる.

 

(9) Une d'elles, un jour, aborda Felicite, qui peu de temps apres entra dans la chambre, toute joyeuse. Elle avait retrouve une soeur ; et Nastasie Barette, femme Leroux, apparut, tenant un nourrisson a sa poitrine, de la main droite un autre enfant, et a sa gauche un petit mousse les poings sur les hanches et le beret sur l'oreille.

  Au bout d'un quart d'heure, Mme Aubain la congedia.

  On les rencontrait toujours aux abords de la cuisine, ou dans les promenades que l'on faisait. Le mari ne se montrait pas.

  Felicite se prit d'affection pour eux. Elle leur acheta une couverture, des chemises, un fourneau ; evidemment ils l'exploitaient. (Flaubert, Un coeur simple)

 

ここではまず母親が登場して,物語の主人公Feliciteの注意を引きつけ,子ども達は母親のリードに従う二次的な役割しか果たしていない.主人公に次ぐ話題の中心は母親である.この場合でも男性形(eux, ils)をとるのは,仏語では文法が優先で,男性名詞と女性名詞の両方をまとめて指す場合は通性として男性形をとるからである.しかし日本語は主題優先の言語である.だから日本語訳では太字部分はすべて「彼ら」よりも「彼女ら」とした方がより自然である.eux, ils部分を穴埋め問題にするとAJは日本語に引きずられてellesと入れやすい.

 

3.4.接続表現

 結束手段としてわかりやすいものが接続表現である.ここでは接続詞だけでなく,副詞などでもつなぐ働きのあるものを含めて接続表現と呼ぶ.一見わかりやすいこの接続表現を,AJは案外苦手としている.Disson(1996:207)もAJはalorsmaisばかりを多用すると報告している.その原因の1つは,日本語では仏語に比べて,接続詞の役割が小さいからと思われる.もちろん日本語においても,接続表現はT構成の重要な要素になっている.だが実際に日本語で書かれた論理的なTを仏語に訳してみると,日本語では単なる文の並列で問題のない場合でも,仏語では適当な接続表現を入れないと,T性が低くなる場合がしばしばある.

 この仮説を確かめるために,新聞,雑誌の記事の日仏対訳本を使って,文以上の単位をつなぐ等位接続表現の使用頻度を調べてみた.ジャーナリズムの文体に限ったのは,文学作品のように,技巧を凝らした意訳がでてくる可能性が少なく,比較的直訳に近い形で訳されていると考えたからである.[I]和文仏訳,[II]仏文和訳の両方向から調べた.訳す場合の一般的傾向に関して次の仮説を立てる.「原文に言語的に明示されている表現は,翻訳でも対応物を明示して訳す.原文に言語的に明示されていない内容も,翻訳では訳文を整えるために入ることがある.原文に言語的に明示されている表現を,翻訳で言語的に明示しないことは,積極的な理由がないかぎりは起こりにくい.」これは,一般に翻訳が原文よりも長くなる傾向と一致する.つまり[I]では仏語の,[II]では日本語の訳文で,たとえ原文にはみられない接続表現が多くても,そのこと自体は翻訳につきまとう問題であり,当然と考える.2つの言語における接続表現の重要性を比べようとするならば,問題とすべきは[I]と[II]での割合の違いである.

 調査の手順は,1)原文で文以上の単位をつなぐ接続表現を見つけたとき,翻訳にそれに対応する言語的表現(必ずしも接続表現である必要はない)があるかどうかをまず調べる.2)次に翻訳で,原文にない文以上の単位をつなぐ接続表現を探す,という二段階にした.統語的に義務的なものは除くため,仏語では文頭大文字以外のetや,日本語の接続助詞「て」などはすべて1)の段階で原文を見るときには勘定に入れなかった.

 

 接続表現の数と割合

[I]和文仏訳

(i)両方あり (ii)仏語訳にのみあり (iii)日本語原文にのみあり (ii) : (iii)
資料A9) 57 28 4 7 : 1
資料B(1) 8 6 0 6: 0
資料B(2) 8 5 1 5:1
[II]仏文和訳

(i)両方あり (ii)仏語原文にのみあり (iii)日本語訳にのみあり (ii) : (iii)
資料C 33 4 6 2 : 3
資料D 126 8 2 4 : 1

 仏文和訳の場合でさえも,資料Dでは仏語のほうが接続表現が多い.資料Cでは日本語のほうで多用されているが,先に述べたようにたとえ原文にはみられない接続表現が多くても,そのこと自体は翻訳につきまとう問題と思われる.むしろ(ii) : (iii)が 2 : 3でしかないことに注目すべきで,[I]の割合(7 : 1, 6 : 0, 5 : 1)と比べると差が小さい.もとより簡単な調査ではあるが,一応仏語は日本語よりも接続表現を使う割合が高いという傾向は確認できる.例に移ろう.

 

(10) 日本経済の高度成長にともない,産業と人口が急速に都市へ集中するようになった.どこの国でも,経済の発展につれて都市化が進む傾向にあるが,わが国ではそれがきわめて短期間のうちに大規模に行われた.

[1]Avec la croissance rapide de l'economie japonaise s'accelerait la concentration urbaine de la population et des industries. [2]On assiste d'ailleurs, dans tous les pays, a une urbanisation plus ou moins marquee au fur et a mesure du developpement de leurs activites economiques. [3]Seulement, dans notre pays, cette evolution s'est operee en tres peu de temps et sur une grande echelle.

(大賀1978:60-63)

 

太字部分のd'ailleurs, seulementは日本語の原文には,はっきりとした対応物がないが,仏語では入れないと,何となく仏語のTとしてはすわりが悪い.[2]は[1]の内容を受けた一種の但し書きである.仏語では但し書きであることを接続表現d'ailleursを用いて明示することを好む.[2][3]も,日本語では内容のつながりだけで,T性は保てるが,仏語では文頭にseulementを立てる方が 文と文がうまくつながる.意味的な整合性だけでは仏語のT性は低いままで,結束性を与える接続表現があるほうがよい.日本語の原文では「が」の1語で簡潔にすませているが,「が」は何通りもの意味がある表現なので,前後の2文を「つなぐ」という働き以外は明確になりにくい.このような場合でも仏語はつながり方まで明示することを好む.

 

3.5.整合性

 上述のような言語的に明示された結束性が低い場合,整合性の役割が増大する.整合性は,言語外的要素である知識,常識,連想が関わると,文化的な要因が大きくなる.一般に日本人はフランス人に比べて,以心伝心,間接的表現,示唆,暗示を好む傾向にあるといわれる.われわれの用語に言いかえると,日本人はフランス人よりも,非言語的な要素による整合性に頼ったT構成を好むということである.この態度はAJの仏語にも影響を及ぼす.もともと仏語は日本語ほど整合性に依存するT構成を好まないのに加えて,仏語の世界では通用しない連想,常識に基づいた整合性に頼ろうとすると,AJの仏語Tは飛躍,逸脱の多いものになる.

 MIレベルの例として(3)を再びとりあげよう.このTは日本の皇室に関する知識がなければ,整合性が見つけにくい.(3)はAJにとってはTとして受け入れられても,常識を共有しない一般のフランス人にとってはT性は低くなる.

 MIのレベルの例としてもう1つ,(1)とその日本語訳(5)おける,文[1][2]のつながり具合を比べてみよう.ここでの結束性は,ともに語彙的な類縁関係によるつながりhumideeau,「湿気」と「水」だけである.仏語の(1)では,この2文間の展開の仕方は飛躍がある感じを受ける.これに対して日本語の(5)のほうがかなりましな印象をもつ.これは日本語のほうが,連想にもとづいた整合性を許容しやすいからだと思われる.

 また例(2)の文[2][3]間の分析を振り返ってみよう.フランス人は<<relation logique>>を見いだせないという印象を語っているが,作者のAJにとっては,このフランス人のいう<<opposition>>だけで整合性が成り立つと考えていたのではないだろうか.

 ここではMAのレベルの整合性に関しては,日本文学には連想による整合性の許容度が極めて高い随筆,連歌という伝統があると述べるにとどめる10)

 

まとめと提案

 日本語の結束性の手段は仏語より乏しい.時制は必ずしも明示されず,代名詞の性の一致は文法によって決まらない.接続表現の重要性も低い.全体として,結束性を高めるのが難しい.この手段の貧しさを埋め合わせるためか,反復は数多く用いられる.また文化的伝統のためか,言語外的要素の整合性は重視される.そして結束性や整合性が小さくても,T性は保てる.

 対象言語学的観点からみた日本語のこのような性質は,仏語のTを作成するAJに影響を及ぼして当然であろう.AJの作る仏語のTは,

 1) 結束性を高める手段に乏しい日本語の影響で,結束性において低くなりがちである.

 2) 文化的な要因に左右される部分が大きい整合性も低くなりがちである.

 3) 日本語では全く問題のない反復を仏語は嫌うから進行性も低くなりがちである.

   1),2)が顕著になれば突飛,非論理的となり,3)が表われれば冗長となる.

 こういった欠点の克服に対して,どう対処できるだろうか.以上の結論をふまえて,T構造習得方法を考えよう.初級段階では,AJは日本語のMAをそのままあてはめて,それでよしとする危険がある((6)参照).よって完全な自由作文や単なる和文仏訳は,マイナスの効果を生む可能性がある.はじめはMAの大枠は与えてやったほうが安全である.そしてフランス的なTを作るには,徹底した模倣が効果的であると指導する.以下簡単に練習方法を提案する.

1) Tを段落単位で分解して,ばらばらに並べ替えてAJに提示し,元のTの順序を再現させる.1 段落を文単位で分解して並べ替えてもよい.答えあわせの後,教師は原文の順序の正当性を説 明する.コミュニケーションが文単位だけでは考えられないことに気づかせる.

2)「仏語では日本語よりも接続関係を明示する傾向にある」ことを説明する.そして論理的Tの 接続表現を空白にした穴埋め問題をさせる.

3) 手紙のように厳密な形式があるTを用いて,重要表現,最重要文を空白にして,かなり自由 に自分の言いたい内容を表現させる.単文が文脈のなかで果たす役割を学ばせる.

4) 簡単で短い物語をまず読ませる.次に本文のところどころに(句,文単位で)かなりの空白を 作り,AJの想像力に任せて自由に記入させる.物語の結末に近づくにつれて空白部分を次第 に多くして,書き手の自由になる部分を増やし,原文とは異なったオリジナルな物語を創作さ せる.原文にはめこんでも違和感のない文を作る必要から,文体に関する感覚を養う.同時に 自由作文に近づけることで発信型のコミュニケーションの第1歩とする.

 紙面の関係で以上の提案の具体例は挙げられなかった.別の機会に論じたい.

 

参考文献

Beaugrande, R. de & Dressler, W. (1981) Introduction to Text Linguistics, Longman, London

Charolles, M. (1978) "Introduction aux problemes de la coherence des textes (approche theorique et etude des pratiques pedagogiques)", Langue francaise, 38, pp.7-41

van Dijk, T. A. (1977) Text and Context. Explorations in the Semantics and Pragmatics of Discourse, Longman, London

Disson, A. (1996) Pour une approche communicative dans l'enseignement du francais au Japon Bilan et propositions, Osaka University Press, Osaka

Halliday, M. A. K. & Hasan, R. (1976) Cohesion in English, Longman, London

久野  (1978)『談話の文法』 大修館書店 東京

Lehmann, D. (1985) "La grammaire de texte : une linguistique impliquee?", Langue   francaise, 68, pp.100-114

大賀正喜(1978)『現代仏作文のテクニック』大修館書店 東京

Raphanel, J. (1997) "Le francais a horreur de la repetition", Dialogues et Cultures 41 Actes du IXe Congres mondial des professeurs de francais Tokyo, Japon 25-31 août 1996, FIPF, pp.324-334

高垣由美(2000)「テクスト構成の日仏比較」『大阪府立大学紀要 人文・社会科学』 第48巻   pp. 97-110

田窪行則・西山佑司・三藤博・亀山恵・片桐恭弘(1999)『談話と文脈』岩波書店 東京

 

(大阪府立大学)

 

 

1)このレベルを「談話(discours)」や「文章」と呼ぶ場合もあるが,本稿ではテクストで統一する.本文へ戻る

2) 韓国人の仏語に関しては,Raphanel(1997)が論じていて,AJとの強い類似性が注目される.本文へ戻る

3)拙稿高垣(2000)は,AJの同じ問題を日本における教育,文化の視点から論じている.本文へ戻る

4) これらの概念の定義については,Halliday & Hasan (1976), Van Dijk (1977), Beaugrande & Dressler (1981), Charolles (1978), Lehmann(1985), 田窪他(1999)を参照のこと.本文へ戻る

5) Halliday & Hasan(1976), Beaugrande & Dressler(1981), Van Dijk (1977)を参照.ただしこれらの研究では,文体的効果があがっている例だけを取り上げており,進行性との関係で均衡が崩れた場合は考えられていない.本文へ戻る

6) Beaugrande & Dressler(1981)を参照のこと.本文へ戻る

7) この課題の手紙はBerard, E., Canier, Y. et Lavenne, Ch. (1996) Tempo 1 methode de francais, Didier/ Hatier, Paris p.128からとった.本文へ戻る

8) 久野(1978), 田窪他(1999)を参照のこと.本文へ戻る

9)資料A: 滑川明彦・会津洋『和仏対照 朝日新聞 テーム天声人語』駿河台出版社,資料B: 数江譲治・Billard, H. 『フランス語に訳せば<直訳・意訳>』駿河台出版社,資料C: 塚本一『現代世界をフランス語で読む』白水社,資料D: 小林茂『新聞のフランス語』白水社.なお資料Bには直訳と意訳の両方があるのでそれぞれ(1)(2)とした.本文へ戻る

10)詳しくは拙稿高垣(2000)を参照のこと.本文へ戻る

 

フランス語要約

Resume

Les apprenants japonais en FLE savent faire des phrases, mais pas de texte. Dans leurs productions, le sens de l'organisation semble leur faire defaut : redondances, digressions, incoherences y sont nombreuses. Cette tendance tient, dans une certaine mesure, a des differences fondamentales entre le francais et le japonais. Pour parler de ce domaine largement inexplore, nous examinons les deux langues en nous appuyant sur des notions empruntees a la grammaire du texte, telles que la cohesion, la coherence, la progression, la macrostructure et la microstructure.


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